アート?それとも建築?
2005年8月28日(日)
今日は朝から大学の友達に連れられ、岐阜県にある養老天命反転地へ行ってきました。ここは荒川修作+マドリン・ギンズにより考えられた、体験型のアート空間といった感じの場所です。
建物は建築というよりアートのほうにに近く、中は迷路のように、そして地面は起伏し、通路の幅は様々など、うっかりしていたら怪我でもしてしまいそうな空間になっています。これは建物の中だけのことではなく外の空間でも同じことが言えます。ここには平らな地面はほとんどなく、すり鉢状の庭の中が変化に富んだ起伏で埋め尽くされています。中には真っ暗ですぐ目の前も見えない空間があったり、座るのにも一苦労するようなソファーが置いてあったりと日常では体験できないような不思議なことがたくさん起こります。
このような空間を造った理由には、荒川さん達が身体感覚の変革により「死」を前提とした消極的な生き方を変えることが可能だと考えたからのようです。つまり、死へいたる「宿命(天命)」を反転しようとしたのだそうです(パンフレットより)。
私はパンフレットを読んでもはっきりとはわからないのですが、ここで人間の身体感覚を覆すような空間を創り出すことで、人々の意識をプラスの方向に変えるきっかけのようなものはできないかと考えたのではないかと思います。ここはパンフレットを読んで深く考えるというよりは、思いっきり体験してからだで感じてきました(正直、読んでもよくわからないので)。他に行かれたことのある方はこれについてどのように思いましたか?よかったらコメントお願いします!
今日は朝から大学の友達に連れられ、岐阜県にある養老天命反転地へ行ってきました。ここは荒川修作+マドリン・ギンズにより考えられた、体験型のアート空間といった感じの場所です。
建物は建築というよりアートのほうにに近く、中は迷路のように、そして地面は起伏し、通路の幅は様々など、うっかりしていたら怪我でもしてしまいそうな空間になっています。これは建物の中だけのことではなく外の空間でも同じことが言えます。ここには平らな地面はほとんどなく、すり鉢状の庭の中が変化に富んだ起伏で埋め尽くされています。中には真っ暗ですぐ目の前も見えない空間があったり、座るのにも一苦労するようなソファーが置いてあったりと日常では体験できないような不思議なことがたくさん起こります。
このような空間を造った理由には、荒川さん達が身体感覚の変革により「死」を前提とした消極的な生き方を変えることが可能だと考えたからのようです。つまり、死へいたる「宿命(天命)」を反転しようとしたのだそうです(パンフレットより)。
私はパンフレットを読んでもはっきりとはわからないのですが、ここで人間の身体感覚を覆すような空間を創り出すことで、人々の意識をプラスの方向に変えるきっかけのようなものはできないかと考えたのではないかと思います。ここはパンフレットを読んで深く考えるというよりは、思いっきり体験してからだで感じてきました(正直、読んでもよくわからないので)。他に行かれたことのある方はこれについてどのように思いましたか?よかったらコメントお願いします!
by mhikari3
| 2005-08-28 23:59
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